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品濃 白旗神社は、品濃町・上品濃にお住いの方々が、健康で心穏やかに暮らせるようにお守り下さる氏神さまです。
神奈川県横浜市戸塚区品濃町518番地7
・源義経命
・天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)
・豊受姫命(とようけひめのみこと)
康元元年(1256)創建、天正三年、天保十一年にそれぞれ改築されました。 御承知のとおり白旗とは源平争乱の際、敵味方を区別するための籏の色、平家の赤旗に対する源氏の白旗、 源氏そのものを象徴する名である。源氏の武将等が祀られる「白旗(幡・籏)」の名の付く神社は、 全国神社本庁傘下八十余社あり、その内「義経公」をお祀りする神社は八社です。しかしながら、何故この地に祀られたか、 詳細は不明です。
天正十九年以来は當神社の知行となった新見氏(その子孫 豊前守正興は安政条約批准の遣米正史となった正興の建てた祖先の墓が當神社の下にあった)が、明治初頭まで當神社の興隆に尽力しました。大正十二年 関東大震災の際には、社殿は倒壊しましたが、氏子には損害がなかったので、時の部落長 金子鉄五郎は「宮柱うちくだけても倒れても氏子の怪我なきぞ尊き」と献詠し、村人たちは「鎮守さまが身代わりになってくださった」と感激して翌年再建に着工、九月二十八日に竣工しました。
近年に至り、平成19年12月13日不審火により御社殿が焼失。氏子崇敬者の皆様のご協力により平成24年10月20日御社殿改築、竣工しました。
徳川家康との厚い信頼関係を築いていた旗本新見氏は、天正十八(1590)年に新見正勝が相州 品濃・山田を領地として家康より賜った後、明治維新に至るまで、変わることなく領地を治めま した。正勝は家督を譲ったのち、品濃に隠居、没後(1642年)白旗神社脇へ埋葬されたと伝え られています。
幕末にはいり、ペリー来航の頃には新見正興が領主となっていました。安政五(1858)年欧米5 ヶ国との間に修好通商条約が締結され、翌年、正興は外国奉行に任命されました。そして万延元年(1860) 、正興は日本初の遣米使節団の正使(主席代表)として、小栗豊後守忠順らと共に 条約批准の為の渡米を果たしました。正興は外国奉行と神奈川奉行を兼帯。幕府の要人を務めな がら、白旗神社の興隆にも尽力したと伝えられています。
四月十一日
九月二十八日
十一月二十八日
慰霊碑にて毎年1回交互に神式(4月11日)と
佛式(5月3日)にて執り行います。

     
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